グレッグ・ノーマンの悲劇 ── オーガスタで三度、2位に終わった男

1996年4月14日、日曜日。グレッグ・ノーマンは6打差の首位で最終日を迎え、5打差の2位で終えた。この日のスコアは78。同組のニック・ファルドは67であった。

長く世界ランキング1位の座にあり、飛距離でもショットの質でも当代随一とされた選手である。そのノーマンが、マスターズだけは最後まで勝てなかった。2位は三度。1986年、1987年、そして1996年。

大会の全体像はマスターズとは ── 緑の聖域オーガスタが紡ぐ、ゴルフ最高峰のドラマに譲る。ここで追うのは、一人の名手がオーガスタに拒まれ続けた十年である。

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サタデー・グランドスラマー

1986年、ノーマンは四つのメジャーすべてで、3日目を終えて首位に立っていた。勝ったのはターンベリーの全英オープンだけである。

マスターズは18番で落とした。17番のバーディでジャック・ニクラウスに並び、最終ホールの第2打をパトロンの輪のなかへ打ち込んでボギー。46歳の帝王が6度目のグリーンジャケットに袖を通した一日は、1986年、ニクラウスの復活 ── 46歳が手にした最後のグリーンジャケットに詳しい。

全米オープンは最終日に崩れ、レイ・フロイドに届かなかった。全米プロは最終ホールで、ボブ・トゥエイがグリーン脇のバンカーから直接沈めて決着している。

土曜日には、すべて首位。本條強によれば、ノーマンはいつしか「サタデー・グランドスラマー」と呼ばれるようになった。称号と呼ぶには、酷な名である。

翌1987年、マスターズはプレーオフにもつれた。ノーマン、セベ・バレステロス、ラリー・マイズの三人。10番でバレステロスが脱落し、11番ではマイズの第2打がグリーンの右へ大きく外れる。ピンを狙う必要がなくなったノーマンは、安全にグリーン右へ運んだ。のちに「圧倒的に自分が有利だと思った」と振り返っている。

マイズの位置からピンまで、およそ140フィート。下りのチップショットはグリーン手前で弾み、そのままカップに消えた。地元オーガスタに生まれ、スコアボード係を務めたこともある男の優勝であった。

二年続けて、最後の一打を他人に奪われている。

1988年の問い

この頃、金田武明がゴルフ誌Choiceに一本の論考を寄せている。題は「ノーマンはなぜオーガスタで勝てなかったのか」。1988年、ノーマンはまだ33歳。誰もが、いずれは勝つと考えていた時期の文章である。

論考は二つの見立てを並べている。

一つは飛距離。オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブのパー5は、良いショットを二つ続ければ届くように設計されている。ノーマンの飛距離は、その前提を越えてしまったのではないか。1965年、ニクラウスが通算271の大会記録で2勝目を挙げたとき、ボビー・ジョーンズは、自分の知らないスケールのゴルフだと評したという。ノーマンの球は、そのニクラウスよりさらに遠くへ飛んだ。

もう一つが、二千年以上前の中国の寓話であった。論考の副題には、ジョーンズと木鶏の名が並んでいる。

木鶏

『荘子』達生篇に、闘鶏を育てる名人、紀渻子の話がある。

王に頼まれて鶏を鍛え始め、十日ほどで王が問う。もう戦わせられるか。まだです、空威張りして気負っております。さらに十日。まだです、ほかの鶏の声や影に応じてしまいます。さらに十日。まだです、相手を睨みつけて気を張っております。

四度目の十日が過ぎて、紀渻子はようやく答える。ほかの鶏が鳴いても、もう顔色ひとつ変えません。まるで木で彫った鶏のようです。その鶏を前にすると、ほかの鶏は向かってこず、逃げ出していく。

日本では、双葉山の逸話とともに知られる話である。69連勝が止まった夜、「われ、いまだ木鶏たりえず」と打電したと伝えられる。

金田がノーマンに見たのは、闘争心の不足ではない。その逆であった。人並み外れた闘争心が、抜くべきところで抜けない。相手の声に応じ、影に応じ、睨み返してしまう。三段目までの鶏である。

副題がジョーンズの名を掲げた理由も、ここで通じる。ジョーンズは若い頃、目の前の相手ではなく「オールドマンパー」と名づけた架空のパーおじさんを相手にプレーすると決めてから、勝ち方を覚えたとされる。相手を見ない。パーだけを見る。二千年を隔てて、荘子の寓話とオーガスタの創設者は、同じことを言っている。

1996年4月14日

論考から八年。ノーマンは41歳になっていた。

初日、63。大会記録に並ぶスコアであった。2日目を終えてファルドに4打差、3日目を終えて6打差。その夜、本條強の記述によれば、ノーマンは「明日はリードを考えず、初日のスタートだと思ってプレーするよ」と語り、日が暮れるまで練習グリーンでパットを続けたという。

最終日、最終組。相手のファルドは、1989年と1990年の二度のマスターズを、いずれもプレーオフで制した男である。

7番を終えて、差は4打。そこから崩れた。9番、10番、11番と3連続のボギーで並ばれ、12番のティショットはグリーンに届かず池へ落ちる。ダブルボギー。首位はファルドに移った。16番、6番アイアンのティショットがフックして、ふたたび池。勝負はそこで終わっている。ファルド276、ノーマン281。

アーメンコーナーで何が起きていたかはアーメンコーナーの読み解き ── 勝負を分ける三つのホール、16番を含む終盤の造りはオーガスタ終盤の読み解き ── 15番から18番、勝負が決まる四ホールに譲る。

一つだけ、確かめておきたいことがある。勝負を分けた12番と16番は、どちらもパー3であった。金田が見立ての一つに挙げた飛距離は、この日の結末に関わっていない。

本條強は、もう一つの数字を挙げている。3日目を終えて通算13アンダー。最終日をパープレーの72で回っていれば、ファルドに1打差で勝っていた。相手を見ず、パーだけを見ていれば、届いていた勝利である。

敗者の振る舞い

ホールアウトしたノーマンは、記者の前に姿を見せた。誰とも会いたくなかったはずの日に、苦い質問にもひとつずつ答えている。

本條強は、この大会の五年ほど前、都内のホテルで一時間にわたってノーマンに話を聞いた。そのとき残った言葉がある。

「私は勝つために常にベストを尽くしている。その結果は63であがることもあれば75を叩くこともある。でもそれがゴルフというスポーツなのだ。強いだけでは勝てない。それでも精一杯戦う。そして相手が優勝すれば讃え、私が優勝すれば讃えられる。それがスポーツのすばらしさだと思っている」

── グレッグ・ノーマン(本條強『マスターズ』ちくま新書、p.193)

この言葉から五年あまり。1996年のノーマンは、初日に63を出し、最終日に78を叩いた。どちらも同じ一人の男のゴルフである。木鶏にはならなかった。最後まで相手の声に振り返り、ピンを睨み続けた。その姿を、パトロンは覚えている。

勝った者より長く語られる敗者は、そう多くない。オーガスタが最後まで許さなかったものは、何だったのだろう。


参考文献

主要参考文献

本條強『マスターズ ——ゴルフ「夢の祭典」に人はなぜ感動するのか』ちくま新書、2021年 金田武明「ノーマンはなぜオーガスタで勝てなかったのか」(『マスターズを巡る物語』ゴルフダイジェスト社、2021年 所収。初出:Choice、1988年)

書籍内引用

グレッグ・ノーマンの発言(本條上掲書、p.172/p.187/p.193) ボビー・ジョーンズのニクラウス評(本條上掲書、p.119) 『荘子』達生篇

補足参照

Masters Tournament 公式サイト〈https://www.masters.com/〉(2026年9月閲覧) The Open 公式サイト「115th Open Turnberry 1986」(2026年9月閲覧)

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