1986年、ニクラウスの復活 ── 46歳が手にした最後のグリーンジャケット

1986年のマスターズを制したのは、46歳のジャック・ニクラウスだった。
全盛を過ぎ、もう勝てないと見なされていた男が、最終日のバックナインを30で駆け抜け、最年長優勝の記録を打ち立てる。マスターズの歴史のなかでも、これほど語り継がれる逆転は多くない。

「もう終わった」と書かれた男

大会前、ある新聞がニクラウスはもう終わった、と書いた。
その記事を友人が届け、大会中の滞在先の冷蔵庫に貼ったという。

理由のない酷評ではなかった。
1980年の全米プロを最後に、メジャーからは遠ざかっていた。帝王も歳には勝てない。
そう言われても仕方のない数年が続いた。だが、ニクラウスは終わってなどいなかった。

4打差の日曜

1986年、その負けじ魂が燃え上がる。
3日目を終えた時点で、上位を占めていたのは若い実力者たちだった。
首位はグレッグ・ノーマン。1打差にセベ・バレステロス、3日目にコースレコードの63を出したニック・プライス。
トム・カイト、トム・ワトソン、中嶋常幸もいた。ニクラウスは、4打差で後を追う位置にいた。

最終日、彼には計画があった。
65であがれば勝機はある──そのスコアを生む戦略を、あらかじめ練っていた。
前半は無理をせず、力を蓄える。9番でバーディーを奪い、前半を35で折り返した。

バックナインの狼煙

勝負は、後半に仕掛けられた。
10番、11番と長いバーディーパットを沈め、9番からの3連続バーディー。
首位のバレステロスに、2打差と迫る。

12番、グリーンをこぼしてボギーを叩く。
普通なら心の火に水をかけられる場面だが、ニクラウスはのちに、このボギーでかえって闘志に火がついたと語っている。
13番、ロングアイアンでグリーンをとらえ、2パットのバーディー。
流れは、彼のものになりつつあった。

15番、イーグル

15番。第2打は4番アイアン。
鋭く振り抜かれた球は、ピンの根元へ落ちた。残りは3メートル半。
キャディを務めるのは、長男のジャッキーである。二人でラインを読み、しっかりと沈めた。イーグル。
ニクラウスは右手の拳を握り、ジャッキーは跳ねて喜んだ。

続く16番、得意のパー3。
5番アイアンで放たれた球は、落下を見届けもせずにティペグを拾うほどの確信とともに、ピンのわずか右へ運ばれる。カップへ向かって転がり、あわやホールインワン。
残った1メートルを読み切り、迷いなく沈めた。これで、バレステロスとの差は、1打に縮まった。

歓声が順位を変えた

この日、歓声そのものが勝負を動かした。
16番でニクラウスがバーディーを奪うと、地鳴りのような歓声がコースを揺らす。
その轟きは、15番フェアウェイでセカンドショットを待っていたバレステロスの耳にも届いた。

絶好の位置から、ロングアイアンを握ったバレステロス。
だが、心は穏やかではなかった。放たれた球は無残な当たり損ねとなり、グリーン手前の池へ沈む。
その絶叫とどよめきは、17番へ向かうニクラウスの耳に届いた。
彼は、17番の第2打をピンそばに寄せる。
微妙なラインを読み切ったのは、幾度となくオーガスタを戦ってきた経験ゆえだろう。
球は読み通りに転がり、カップへ消える。バーディー。
ここで、ニクラウスは単独首位に立った。コースには、帝王が還ってきたという声が広がった。

黄昏のゴールデンベア

通算9アンダー、単独首位で、ニクラウスは最終18番のティに立つ。
このホールは右へ曲がり、上っていく。
フェードを持ち球とするニクラウスは、無理をせずフェアウェイをとらえ、パーで締めた。

1打差で追ったトム・カイトは、最終18番でバーディーパットをわずかに外してプレーオフを逃す。
17番のバーディーで並んだノーマンは、18番でボギーを叩いた。
ニクラウスは、宣言どおりの65をマークし、わずか1打差で逃げ切る。
46歳2か月23日。この最年長優勝の記録は、40年を経たいまも破られていない。
6度目の、そして最後のグリーンジャケットだった。

日の傾いたコースで、ニクラウスの目は潤んでいた。
刻まれた皺の奥から、静かな風格がにじむ。
ゴールデンベアと呼ばれた男の、最後の栄光である。


参考文献

  • 本條強『マスターズ ゴルフ「夢の祭典」に人はなぜ感動するのか』ちくま新書、2021年
  • 1986年マスターズ(ニクラウスの優勝)について:Masters.com/Golf Digest ほか(2026年8月閲覧)
  • Masters Tournament Official, https://www.masters.com/

※情報は2026年8月時点のものです