全英オープンはR&Aが、全米オープンはUSGAが、全米プロはPGAオブアメリカが主催する。いずれも競技団体の選手権である。四つ目だけが違う。ジョージア州の一民間クラブが、知人を招いて開く試合。マスターズ・トーナメントは今も、オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブの私的な催しという形式を崩していない。
その招待試合が、なぜ公的な三つと並んだのか。
大会の輪郭についてはマスターズとは ── 緑の聖域オーガスタが紡ぐ、ゴルフ最高峰のドラマに譲り、ここでは格式がどう積まれたかだけを追う。
招待試合として始まった
1934年3月22日、第1回大会が開かれた。正式名称はオーガスタ・ナショナル・インビテーション・トーナメント。出場72名。優勝はホートン・スミス、通算4アンダー284。1打差の2位にクレイグ・ウッド。ボビー・ジョーンズは13位タイに終わっている。
大会中、各紙が連日大きく扱ったのは、優勝したスミスではなかった。本條強の記述によれば、ニューヨーク・タイムズをはじめ全国紙の紙面を占めたのは、四年ぶりに公式競技へ戻ったジョーンズである。大会そのものには、まだ見出しを立てるだけの価値がない。
呼び名も定まっていなかった。「マスターズ」は当時、新聞記者が使う別称にすぎない。名付け親のクリフォード・ロバーツに対し、ジョーンズが尊大にすぎると難色を示した経緯は、マスターズを創った男 ── ボビー・ジョーンズ、引退の先にあった生涯に詳しい。
72ホールを四日間に分け、1日18ホールずつ回る日程を最初に組んだのは、この大会である。組み合わせは二人一組。互いを意識させる形であった。
だが、他の三つと決定的に異なる点が、この時点ですでにあった。主催者が競技団体ではない。ひとつのゴルフクラブである。誰の承認も受けていない。誰も、メジャーだとは言っていない。
権威は、あとから足されたものではない
1929年秋、ニューヨーク株式市場が崩れた。失業はその後も増え続け、1933年には四人に一人が職を失う水準に達する。オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブの建設に着手したのは、その途上の1931年であった。
資金を引き受けたのがロバーツである。ウォール街で財を成した投資家で、ジョーンズの信奉者。本條強の記述によれば、彼はこう申し出たという。
集め方に、ロバーツの設計が現れている。コースを造ってから会員を募るのではない。ジョーンズの精神を信奉する実業家を先に集め、彼らを発起人として資金を出させた。倶楽部が先、コースが後。同書は、東京ゴルフ倶楽部や霞ヶ関カンツリー倶楽部も同じ順序で生まれたと記している。
集まった顔ぶれが、のちの三十年を決めた。新聞社をはじめとするメディアの経営者。政財界の要人。同書によれば、三井物産ニューヨーク支店長で、のちに国鉄総裁となる石田禮助も初期の会員に名を連ね、1936年の帰国を機に退会している。以降の日本人会員は確認されていない。会員名簿は今も公表されていない。
現在の会員は約300名とされる。
もうひとつ、ロバーツが崩さなかった原則がある。冠スポンサーを置かない。主宰はあくまでオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブとし、同書によれば、開催運営費は会員が捻出することになった。企業名を大会名に冠すれば資金は容易に集まる。それをしない。この原則は、収入の構造が変わった今も守られている。
結果として、第1回の費用が足りなくなった。ロバーツはオーガスタとアトランタの市民に入場券の購入を頼んで回る。そのとき彼が繰り返した言葉が、この大会の観客の呼び名を決めた。
観客ではなく、主催者の一人。呼称としての「パトロン」がどう定着したかは、パトロンと呼ばれる観客たち ── オーガスタが守る観戦の流儀で扱っている。
ジョーンズが掲げた大会の理念も、同じ書に残る。
大会が、自ら物語を持った
仕掛けだけでは、格は立たない。
第2回大会、1935年。ジーン・サラゼンが最終日の15番パー5で放った一打が、大会の名を広めた。三打差を一打で消し、クレイグ・ウッドとの36ホールのプレーオフを制している。その一打がなぜ起きたかは、オーガスタ終盤の読み解き ── 15番から18番、勝負が決まる四ホールに詳しい。
本條強は、ジョーンズの人気を離れてマスターズそのものが世界に喧伝されたのは第2回大会だ、と書いている。第1回で紙面を占めたのはジョーンズの復帰であった。第2回で残ったのは、大会のなかで起きた一打である。
1942年には、バイロン・ネルソンとベン・ホーガンが72ホールを終えて280で並んだ。同い年の二人。翌日18ホールのプレーオフで、ネルソンが69をマークし、70のホーガンを1打差で退けている。ジョーンズに、同じゴルファーとしてこれほど胸を熱くした試合は見たことがない、と言わしめた対戦であった。
その直後、大会は第二次世界大戦で三年間中断する。ジョーンズは情報将校として欧州へ渡った。
戦後、目標が言葉になる
戦中のオーガスタは、食糧難のなかで七面鳥の飼育場となり、荒れ果てていた。ロバーツはドイツ人捕虜に半年ほど働いてもらい、コースを戻す。荒廃したホテルの代わりには、会員の宿泊用としてコテージを十棟建てた。うち一棟はジョーンズキャビンと名づけられている。ほとんど費用をかけず、短期間で。1946年、第10回大会が開かれた。
その戦後初の大会は、優勝者よりも敗者の名で記憶されている。ベン・ホーガンが最終ホールに15フィートのパットを残した。沈めればハーマン・カイザーに並び、翌日のプレーオフ。外した。返しも外した。カイザー282、ホーガン283。無口で、人並み外れた練習量で知られた男が、最後の二打を失う。本條強は、この敗北が大会の名をかえって広げたと書いている。
大会を始めたロバーツの動機は、当初、事業に近いものであったらしい。それが変わったのは、招かれた名手たちの戦いを見てからである。選手は賞金のために戦っていない。自分の誇りのために戦っている。そう気づいたとき、彼のなかで大会の位置づけが動いた。
ここで初めて、目標が言葉になる。マスターズをメジャートーナメントにする。
後発であることを、ロバーツは正確に理解していた。全英オープン1860年、全米オープン1895年、全米プロ1916年、そしてマスターズ1934年。四つ目の椅子は、既に三つが埋まった卓に、あとから取りに行くほかない。
1949年、優勝者へのグリーンジャケット贈呈が始まる。会員用の緑の上着そのものは1937年から存在していた。着想の源は1930年にさかのぼる。ロイヤル・リヴァプール・ゴルフクラブで全英オープンを制したジョーンズに、同クラブのケネス・ストーカーが自らの赤い上着を譲った、という逸話である。襟と袖に青の飾り、真鍮のボタン。歴史と伝統をそのまま着ている、とジョーンズは感激したという。緑という色の選択に、南部の四月と、会員であることの意味が重なる。
1953年、ドワイト・アイゼンハワーが大統領に就いた。オーガスタ・ナショナルの会員である。現職大統領が通うコース、という事実そのものが、他のどんな宣伝にも代え難い保証となった。
誰も、決めてはいない
テレビが、この大会の輪郭を変えた。
1956年、CBSが中継を開始する。放映権は今も一年ごとの更新で、契約の主導権をオーガスタ側が手放したことはない。
中継を前提とした改変が続く。1957年、二日目終了時点での予選落ちを導入。当初は上位40位タイまでが決勝ラウンドへ進んだ。現在は上位50位タイ。スコアボードのアンダーパーは赤字とし、ボードを操作する係員の靴はゴム底に限った。観客が増えてからは、プレーとの境にロープを張る。そのロープを緑にし、売店の紙コップからごみ箱まで、視界に入るものを緑で統一した。
色の管理は、そのまま次の要求につながった。1965年大会の中継中、ロバーツはカメラの前で予告する。来年はカラーでご覧いただける、と。CBSにとっては寝耳に水であった。予算も設備も用意がない。それでも局は約60万ドルを投じ、翌1966年、マスターズはカラーで放送された。アザレアの桃色と、バンカーの白と、緑の上着。ロバーツが三十年かけて整えてきた色彩が、初めてそのまま茶の間に届く。
同じ頃、アーノルド・パーマーが現れた。1958年初優勝、以後1960年、1962年、1964年。彼が四つの大会の制覇を公言して大西洋を渡ったことで、アメリカの関心は全英オープンにまで広がった。
ただし、四大メジャーという枠組みを誰かが一日で決めたわけではない。プロの「グランドスラム」という言い方自体は1930年代から新聞に見られ、サラゼン、クレイグ・ウッド、サム・スニード、ベン・ホーガンをめぐって繰り返し語られていた。どの大会を数えるかは、その時々で違っている。パーマーはその概念を発明したのではなく、最も強く体現し、広めた人物であった。
つまり、承認の瞬間は存在しない。競技団体が認定したのでもなく、規約が定められたのでもない。書く側と見る側が、いつの間にかそう数えるようになった。
ロバーツが積み上げたのは、格式そのものではない。格式が宿るための条件であった。冠スポンサーを置かない。市民を主催者と呼ぶ。色を管理する。そのひとつひとつは、メジャーになるための施策とは呼びにくい。呼びにくいものの集積が、結果として四つ目の椅子を用意した。
結び
クリフォード・ロバーツは第1回から四十回にわたって会長を務め、1977年、83歳でオーガスタの池のほとりに自ら生涯を閉じている。
その四十回のあいだに、この大会は誰の承認も経ずに四つ目の椅子に座った。座った日付は、どこにも記録されていない。
四月の一週間に積まれたものを、今のオーガスタのどこに見つけられるだろう。1986年、ニクラウスの復活 ── 46歳が手にした最後のグリーンジャケットのような一日が生まれ続けていることが、その答えのひとつでもある。
参考文献
主要参考文献
本條強『マスターズ ——ゴルフ「夢の祭典」に人はなぜ感動するのか』ちくま新書、2021年
書籍内引用
クリフォード・ロバーツの発言(本條上掲書、p.72/p.76) ボビー・ジョーンズの発言(本條上掲書、p.77)
補足参照
ウェブ
- Masters Tournament Official, https://www.masters.com/
- Golf.com, “The story behind the Masters’ first-ever color-TV broadcast”
- Golf.com, “Eye on history: A look at the evolution of CBS’s Masters broadcast”
※情報は2026年9月時点のものです。