2021年4月11日、日曜日の夕刻。オーガスタの18番グリーンで、松山英樹の優勝が決まった。キャディの早藤将太はピンをカップに戻すと、帽子を取り、コースに向かって一礼した。
日本から初めて選手がこの大会に出たのは1936年である。それから85年後の優勝であった。
大会の全体像はマスターズとは ── 緑の聖域オーガスタが紡ぐ、ゴルフ最高峰のドラマに譲る。ここでたどるのは、日本の選手がグリーンジャケットに届くまでの道のりである。
1936年、最初の二人
第3回大会に、陳清水と戸田藤一郎が招かれた。陳は20位タイ、戸田は29位タイ。オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブが開場して、まだ3年あまりの頃である。
日本の選手が初めて10位以内に入ったのは1973年、尾崎将司の8位タイである。
1978年には、初出場の中嶋常幸が2日目の13番パー5で13打を叩いた。当時23歳。クリークにつかまり、罰打を重ねた末の数字である。このホールの最多打数として、いまも記録に残っている。
1989年の指摘
1989年、ゴルフジャーナリストの三田村昌鳳が、ゴルフ誌Choiceに「AONそれぞれのマスターズ」を寄せた。青木功、尾崎将司、中嶋常幸の三人が、毎年のようにオーガスタへ挑んでいた時代の文章である。
三田村は大会のコンピュータ担当者に掛け合い、歴代優勝者の4日間のホールごとのスコアを分けてもらっている。そのデータを手がかりに、こう書いた。
「日本人選手が勝てない、いい成績を残せない原因は、数字だけで見るならば、3日目と最終日にスコアがのびないこと。さらに、『攻めるコース』のはずのインに入って、スコアが悪いことだ」
── 三田村昌鳳(『マスターズを巡る物語』ゴルフダイジェスト社、p.100。初出:Choice、1989年)
アウトは守り、インで攻める。歴代の勝者はそうしてスコアを作ってきた、というのが三田村の読みである。日本の選手は、スコアを伸ばすべき週末と後半の9ホールで、逆に落としていた。技術の優劣を論じる前に、どこで落としているかを数字で示した指摘であった。
4位の壁
その後も、日本の選手は上位に顔を出す。2001年、初出場の伊澤利光が4位タイ。2009年には片山晋呉が単独4位に入った。日本の選手の最高位は、しばらく4位のまま動かなかった。
2011年、東北福祉大学2年の松山英樹が、前年のアジアアマチュア選手権の優勝者として招かれた。大会の1か月前に東日本大震災が起きている。出場を迷った松山を、ゴルフ部の阿部靖彦監督らが「マスターズで頑張っている姿を見せて、災害にあった方々を勇気づけなさい」と送り出した。
松山は予選を通り、27位タイでローアマチュアとなった。日本人として初めて表彰式に並んだ。銀のカップについては「重さはなかったけど、その重さではない方の『重さ』を感じました。持てたことが幸せでした」と語っている。19歳であった。
土曜日の宿題
プロとなった松山は、三田村の指摘をなぞるような負け方を重ねる。
2015年は最終日に66を出して単独5位。それでも本人は「土曜日に今日のスコアが出ていればと後悔が残ります。優勝を目指しているので」と言った。2016年は3日目を終えて首位と2打差の3位タイにつけ、最終日の73で7位タイに後退した。本條強は、この頃からパットの不調が松山を苦しめ始めたと書いている。
2020年、11月に延期された無観客の大会は13位タイ。その年の12月、松山はオンラインの会見で「2021年のマスターズは絶対に雪辱したい。勝ちに行きます」と語った。本條はこの言葉を収めた著書を、2021年3月に刊行している。優勝の1か月前である。
2021年4月10日、土曜日
3日目の午後、雷雨の接近でプレーが1時間あまり中断された。再開後の松山は、11番、12番と続けてバーディを奪う。15番パー5でイーグル、16番と17番もバーディ。インの9ホールを30で回り、この日はボギーなしの65。2位に4打差をつけて、単独首位に立った。
三田村が日本の選手の弱みとして挙げた、3日目とインの9ホール。32年後、松山はその両方で、この大会のスコアを作った。15番から18番の造りはオーガスタ終盤の読み解き ── 15番から18番、勝負が決まる四ホールに詳しい。
4月11日、日曜日
最終日の松山は、スコアを伸ばせなかった。1番と12番でボギー。15番では第2打がグリーンを越えて池に入り、ここもボギー。続く16番、18番もボギーとして73。通算10アンダー、2位のウィル・ザラトリスとは1打差であった。
最終日にスコアがのびない、という三田村の指摘は、この日にかぎれば当たっている。違ったのは、前日のうちに4打の貯えがあったことである。
4打のリードを抱えて73で逃げ切った日曜日は、6打のリードを78で失った1996年の日曜日と、ちょうど裏返しの関係にある。後者についてはグレッグ・ノーマンの悲劇 ── オーガスタで三度、2位に終わった男に書いた。
日本の男子選手として、初めてのメジャー制覇でもあった。その1週間前には、オーガスタ・ナショナル女子アマチュアで梶谷翼が優勝している。
18番の一礼
早藤の一礼は、海外のメディアでも取り上げられ、多くの人の目に触れた。
1936年の陳清水と戸田藤一郎から、尾崎、中嶋、伊澤、片山、そして松山へ。13番の13も、4位の壁も、日曜日の73も、このコースと向き合ってきた記録である。早藤が頭を下げた先には、日本の選手たちが85年をかけて挑み続けたコースがあった。
参考文献
主要参考文献
本條強『マスターズ ——ゴルフ「夢の祭典」に人はなぜ感動するのか』ちくま新書、2021年 三田村昌鳳「AONそれぞれのマスターズ」(『マスターズを巡る物語』ゴルフダイジェスト社、2021年 所収。初出:Choice、1989年) 吉川正則「日本からの挑戦85年。悲願までの足跡」(『マスターズを巡る物語』ゴルフダイジェスト社、2021年 所収)
書籍内引用
三田村昌鳳の分析(『マスターズを巡る物語』p.100) 松山英樹の発言、阿部靖彦監督らの言葉(本條上掲書、p.227/p.230/p.233) 松山英樹のローアマチュア受賞時の発言(GDO「ローアマの松山、感動のスタンディングオベーション」2011年4月)
補足参照
Masters Tournament 公式サイト〈https://www.masters.com/〉(2026年9月閲覧)